昭和48年02月13日 夜の御理解
昨夜、昨夜じゃない、昨日、新聞を見せて頂きよったら、何か週刊現代という週刊誌に、金光教の事が書いてある。その見出しがあまりにひどい見出しでした。金光鑑太郎教主の神秘のベールを剥ぐと言う、あれが出てました。何かこう金光教のベールを剥いだら、汚いものが出るとか、他所に見せられないようなものが出てくると言った様な感じを受けるような見出しのつけ方をしてある訳ですけどね。
神秘のベールを剥ぐと言った様な言葉でしてある。私早速昨日、光昭に言うて読んでみろうと思ったんですけれども。光昭が忘れておってから今日買うてきた。そしたら日田の高芝さんもそれを見たんでしょう。買うてきてから早速持ってきて下さって、ダブッたわけですけれども。今途中まで読ませて頂いて、ベールを剥げば剥ぐほど、金光教の信心の素晴らしい事に驚いておるですね、記者が。もう剥げば剥ぐほど良いものが出てくると言うこと。という内容にそれが出ておるわけですけれども。
私は是を見てから思った事は、この頃から週刊誌に二回程出てます。ここには今までかつて金光教はマスコミのそれに上った事がないと書いてありますけれど。他の週刊誌にも矢張り取り上げてそれもやっぱり同じ様な事で、もう悪い事を書こうったって、悪い事が実際はないのですから有難いんですけれども。最近例えばこういう週刊誌なんかに、こう言う様な風に出てくる金光教と言う事は、今まであまりにも何というかね、お上品な信心が、何か信心臭と言う様なものが、少し出てきたのじゃないだろうか。
少しは人から悪口でも言われるように、合楽の場合でもそうでしょう。悪口を言う合楽と言う所はまるっきり、金光様の信心じゃない様な事を言ったりする人がある。けれども実際に、ベールを剥いでみれば剥いでみる程、素晴らしさに驚いて合楽にお参りしてくるというのが事実である。だからねこういう例えば、人の神様の悪口を例えば言う様な場合であっても、それは一つの神の比礼である。こう言う事が書かれる様な、と言う事は是は最近の金光教の、少し生き生きしたものが出来たのかなと思うて。
私は御礼を申し上げる様な気持ちで、実は是を読みたいとこう思った訳ですけれどもね。そういう意味で私は、有難いと思うですね。金光教が世に問われてきた。金光教がいうならば、盛んに悪口でも言われるくらいでなからなければ、本当の比礼は立ってる時じゃないと思うですね。そして実際に調べてみると、ベールを脱げば脱ぐほど、素晴らしいのに驚くというのが金光教だと。これは合楽の場合もそれが言えると思うですね。